言葉は武器。差別に出会ったら

先日、友人が遊びに来て見送りのためにドレスデン中央駅まで一緒に歩いたあと電車まで時間が余ったので駅構内のカフェテリアに入った。おしゃべりを楽しんだ後、備え付けのトイレに行こうとした時、ヨーロッパではよくあるトイレの整備員が50セントを回収する仕組みになっていた。

整備員は私たちの顔を見るとすぐに、「50セント」と張り紙を指差したので友人は50セントを支払った。私はトイレに用事がなかったので整備員の目の前で友人を待つことにした。友人を待っている間に高校生位の男の子が三人、女性が二人トイレに入って行った。その時トイレ整備員は彼らに50セントを請求しなかった。

私はもしかして、アジア人だからカモられたのか?と気がつき、使用料50セントと書かれている張り紙の前に立ち隅々まで読んだ。張り紙によると50セントの使用料は義務ではなく、「お客様がトイレを気持ちよく使えた場合、その気持ちを込めて50セント払ってくれたら私たちは喜びます」と書かれていた。

私は読み終えたあと、トイレ整備員に張り紙を指差し「50セントを支払うのは義務ではないようだ。」と言ったあと、「私たちのあとにトイレに入っていく人々にあなたは請求しませんでしたよね?」と問い詰めた。「どうして私たちにだけ50セントを要求したのですか?」と聞くと、「彼らはここのカフェで食事をしたから」と。私たちも同じくカフェで飲み物を飲んだことを伝えると、「レシートを見せろ」と言い返してきたので、「カフェでコーヒー1杯頼んでレシートをわざわざ取っておくわけないし、他の利用客だってレシートをあなたに見せなかった」と私も言い返す。私はさらに「どうして他のトイレ利用客には50セントを請求しなかったのに、私たちにだけ50セントを請求したのか?それは私たちがアジア人だからか?」とつづけると、トイレ整備員は「私はここで朝の8時から夜の9時まで働いていてウンタラカンタラ…」と言い出したので、「私にはそれは関係のないことで、私が聞いているのはどうして他の人には請求しないのに、私たちには請求したのか、ということを尋ねているんだ」と強く主張した。するとトイレ整備員はあきらめたのか「トイレに不満があったのなら、この50セントはお返しします」と言い出してきた。

そうこうしていると友人がトイレを済ませて出てきた。私たちがその場を去ろうとしたとき、私たちの背中に向かって「トイレに不満があったのなら50セント返しますよ!」と大きな声で言っていた。私たちはそのままトイレをあとにした。

これは果たして差別なのだろうか?私は差別だと思う。
トイレ整備員の意識の中に「アジア人だから、言葉が通じないだろうから」という理由がなければこのような不平等は扱いにはいたらなかっただろう。きっとトイレ整備員もまさかあそこで私が意見してくるとは思ってもみなかっただろう。
もし、私がドイツ語圏外でこのような扱いを受けたなら黙ってカモられるだけだ。むしろ旅行者としては現地にお金を気持ちよく落としていくことには問題無い。しかし暮らすとなると話は別だ。現地語を理解できない人はいつまでも訪問者であり、その土地で暮らすためには少なからず現地の言語を習得し、なるべく現地の人たちと平等な扱いを受けることがその土地の居住者として当たり前の権利だと私は思う。
トイレ整備員もドイツ人ではなかった。アクセントや外見で判断する限り、どこか東欧の国からやってきたのだろう。そしてドイツ語を習得して得た仕事は朝から晩までトイレの掃除と整備をすることだ。その対価として50セントを彼女に支払う事については問題ないが、彼女の振る舞いは決して褒められたものではない。

海外移住をすると差別をうけるのはよくあることだ。差別を受けたことに気がつかないまま過ごすこともある意味、平穏である。私のうけた差別は大したことのないものだけれど、どこかで大きな権力や搾取に怯えて暮らしている人のことを思うと、小さな差別でも意見をすることは大切な積み重ねではないだろうか。
ドイツは教養が高い、ヨーロッパはすごい、という幻想は捨てた方は良い。トイレ整備員のようにアジア人はカモだと思っている人は少なくないのだから。

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