表現のあれこれ

ここの美術は自由だ。美術を通して様々な作家の視点を体験することができる。美術とは自由であり、新しい世界を覗くことなのだ。自分以外の誰かの視点に立って世界を観る。言葉に置き換えるととても簡単そうに感じるが、案外難しい。現代美術には正解が無い。モダンアート、インスタレーション、抽象画、ビデオアートなど、これらには「正しい」という概念が無い。作家の意図や制作に至るまでの背景などをなぞなぞのように考えるための謎かけでもない。

ここで作家活動をしている人々を観察するととても面白い。作品を作って何かを目指す努力というよりかは、全力で惰性で生きているように感じる。作品を作り上げる過程で色彩や構図を構築し設計図を立てて考えるよりも、感性やそこに宿る意味、メッセージなどが重要視される。実際に作品が放つ表現力そのものは、ロジカルな思考の上に成り立っている作品には歯が立たない。それは怒り狂っている人が放つ怒りのエネルギーと似ていると思う。ここで評価される美術作品とは、そういった表現力を持つ作品なのだ。

もちろん中には巧みな技法でロジカルに組み立てらる作品もある。超絶技巧は誰にでも達することができる領域では無いので常に人気だ。リアリズムは21世期になってスマホで簡単に写真が撮れるような時代になっても鑑賞者達の心を鷲掴みにする。ただのリアリズムよりも一工夫された面白い構図があると、さらに脚光を浴びる。

最終的に目指す作品の完成があったとして、そこにたどり着くまでの設計図を皆書きたがる。しかしそれじゃぁ何も面白く無い。逆に言えば、自分の理想を追い求めると、そのゴールに縛られて自由な思考が奪われてしまう。ある程度の技法や知識は必要だが、それらはただのツールにしか過ぎない。表現の世界とは、怒り狂った人の心だけを丸ごと引っ張り出してくるような、そんな作業を繰り返していくことなのでは無いかと思う。

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