海外移住の先にあるもの

どんな経緯で海外移住を決意するかはそれぞれのストーリーがある。移住先でやりたいことやゴールもそれぞれだ。けれどある種の共通点がある。それは、移住先である程度生活が定着したら、その後の人生をどう展開していくかという問題だ。

海外で暮らし始めると最初のころは楽しいことも辛いこともいっぱいある。それらは時に人生を展開していくためのインスピレーションにもなる。しかし、10年も暮らしてみたらどうだろうか。若い時は未知なる世界への憧れや興味が強くても、そこで10年暮らすとある程度のルーチンができる。
海外移住はとても刺激てきな体験である。そしてそこで生活を定着させるのはとても大変だ。現地語の習得、仕事の獲得、生活習慣や風習。だがそれらに慣れてしまうと、少なからず現地で気に入らないところも出てくるであろう。カップルでいうところの倦怠期のようなものだ。最初のころはドキドキして楽しいものが、時間が経って慣れてくるにつれて薄れていくような感じだ。私は最近、ドイツでの暮らしに少し辟易としている。

ここ数年、私はドイツで暮らすことに慣れすぎてしまったのか倦怠期気味である。倦怠期どころか、イヤイヤ期なのかもしれない。ちょっと前までは東ドイツでは当たり前のサービスや愛想の悪さに慣れきっていて、ちょっと嫌なことがあっても、まぁドイツだからそんなもんだよね。とすぐに忘れることができた。しかし最近はすぐに忘れることができない。それは私が住んでいるドレスデンという街がとても特殊で、保守的で外国人に対してはとても排他的な人が多いからというのも一つの理由ではある。そして、とうとう私はこの街が嫌いだという自覚を持つようになった。

そこで私は思ったのだ。海外移住をして、日本とはまるっきり違う世界で仕事をすることは現実可能な夢や目標であることには間違いないが、その先に待っているものまでちゃんと見据える能力もある程度必要なのではないかと。
いや、正直自分の人生の未来や行く末を考えて行動したところで想像通りの人生を送れるわけでもない。けれど、海外移住に関しては表立ったキラキラな転身ストーリーはインターネット上に腐るほど転がっているのに、転落ストーリーは見かけない。
私はドイツに長い間暮らしているけれど、ここ数年はかなりしんどい暮らしをしている。楽しいこともあるし、借金を抱えて困っているわけでもないけれど、なんだかイマイチ心がぱっと明るくなることが減ってしまった。
旅行に出かけても、仕事で成功をしても、なんだか刺激が足りなくてまるで不感症のように感性が鈍くなったように感じる。
私は最近、ドイツから他の国に移ることを視野に入れるようになった。日本に夫と帰国して暮らすことも考えて、去年は2回も日本に帰った。けれど日本では暮らせないことを再確認した。
私はまた新しい場所で、新しい生活を望んでいる。それはまるで刺激を欲しがるように。新しい何かを体験したいという心の底から強く望むものがある。そしてそれらが生活の糧になり、仕事の養分になる。私にはそういう生き方が合っている。

もう一つ、ドイツでの暮らしにおいて気に入らないことがある。それはドイツ人の性格の悪さだ。職場や友人関係において、ドイツ人と良い付き合いをするのは異常に難しい時がある。私の個人的な体験を一般論にしてしまうのは良くないが、私が出会ったドイツの友人たちはなんていうか、すごくドライな人が多い。彼らの特徴としては、家族や幼なじみ、学校の同級生なんかはすごく大切にする。仕事でも長く付き合っていくうちに強い信頼関係で結ばれることもある。けれどその逆に対してはとってもドライな対応が多い。私はドイツやヨーロッパに対して幻想を抱いていたのかもしれない。高い教養と、教育があると思い込んでいたが、そんな人はほんの一握りだ。ドイツを代表するようなすごい人たちのキラキラが強すぎて見えない部分が多いが、実は影の部分はとんでもない人間が多い。ここ数年、私はその影の部分と触れ合うことが多かった。心の底から、この人とはもう関わりたくないと思うことが本当にたくさんあった。無自覚に搾取をし、傲慢で欲張りな悪いやつらのタチの悪さは映画の悪役もびっくりする。私はこんな生活にとても辟易としていて、できることならばここから去りたいと思う気持ちがどんどん膨らんでいくのである。

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