死を選ぶ理由

若くて美しい有名な俳優さんが自殺した。彼を見て人々は、カッコ良くて素敵な仕事をしていて人々が欲しがるものを全て持っているのにどうして死んでしまうのだろう?と思う。しかし本当に彼の人生は完璧だったのだろうか?

何年か前に元プロ野球選手が違法薬物で逮捕された事件が報道された時も人々は彼のことを応援していたのに裏切られた、と言う。応援するのはありがたいことだが、裏切られたという思うのはお門違いではないだろうか。彼も野球人生を歩みながら、応援してくれている人々に野球を通して信頼とは何か?みたいな教養を広めていたわけではない。彼には彼の、孤独に満ちた野球人生がある。孤独に満ちた、というのは一人で黙々と練習や鍛錬をすることを表しているのではない。彼らが孤独なのは、野球や俳優業以外の職業の選択肢がないに等しい人生を歩んでいる。そういう意味で孤独なのだ。

応援する、というのは妙なものだ。応援とは一方通行な愛情の押し付けだったりする。スポーツ選手を応援するのは、勝つことが大前提で良い成績を残すことがが望まれる。そして違法薬物で逮捕されたら、裏切られたという。どんなに素晴らしい成績を残しても、人間なのだ。真面目に取り組んできた分だけ、挫折したときの衝撃は大きい。人々は何か成し遂げたすごい人を、神様か何かのように勘違いして崇拝する。すごいことをした人が言うことは全て正しくて、すごいことをした人が挫折して薬物に手を出すと、裏切られたと言う。これは全くもって自分勝手な解釈だ。人は皆人間で、成功もすれば失敗もする。成功して有名なすごい人でも失敗や挫折をすることがある。それが薬物だろうが脱税で違法であろうが信号無視であろうが自殺であろうが、結局のところ人は皆、同じ人間なのに成功したすごい人には人間であることですら許されない。

私の人生は、何故か不思議なことに現代美術の世界で生きていく運命のようだ。時々、嫌になってぶらぶらアルバイトをしたり何もしなかったりしていた時期もあった。しかし何故か不思議なことに、美術の方から私の方に寄ってくる。展覧会の話が来たり、レジデンスに誘われたりする。そうこうしているうちに30代も後半となった。そしてふと自分の人生を振り返る。私は時々、自分の意思で美術の世界で生きていくことを選んだ。そして運よく色々な話が舞い込んでくる。そういった仲間や人々に囲まれている。そして時々、それが嫌になり美術の世界から距離を置く。このままぼんやり生きていくのも悪くないなと思い始めた頃に、美術の方から私のところへやってくる。作品を作るためのインスピレーションになる事件や出来事も人生の中でたくさんあった。辛い時は友人にこんなことがあった、と話をする。他人から見たら、私の人生はとてもドラマチックで映画のような出来事が頻繁に起こっているようで、時々羨ましがられることもある。そういう時、私は辟易としているので「あなたの人生は羨ましい」なんて言われたら、私は激怒する。ある程度時間が経って、落ち着いてきた頃に私は思う。他の人の人生はそんなに退屈なのだろうか?と。

私は孤独だと思う。それは一人で仕事をこなす環境もその理由の一つだが、私の人生には美術しかないことが孤独の大きな理由だ。もし他に美術とは全く違うスキルがあって、もうこんな生活やめて日本に帰って会社員にでもなろう!と思ったところでそれは実現しにくい。メンタルの調子が良い時は良い。美術の仕事が楽しい時は、まぁこのままずっとこうやって生きていくのも悪くないと思える。でもメンタルが不調で仕事もうまくいかなくて、本当に行き詰まりでもう美術を辞めようって思った時に、辞めたくても美術しかないのに辞めたところでどうなるんだ?と言う別の問題が浮かび上がってくる。生きていればやり直しが効く。他の職業に就く選択肢がないわけではない。けれど美術の世界で真面目に生きてくればくるほど、他の選択肢を選ぶことが難しくなる。それだけどっぷりと深く根付いているからだ。

自殺した俳優の彼の心の中は私にはわからない。もっと他の問題かなんかで死を選んだのかもしれない。けれど死を選ぶ気持ちはなんとなく理解できる。
私たちは人間である。だからいつか死ぬ。そして自分で死を選ぶことは、何も悪いことではない。誰かに迷惑をかけるとか、期待を裏切られるとか、そんなことはどうでも良い。人間の弱い心は、誰かが強くしてあげれるものではない。この世界は誰かが勝手に作り上げた虚像や幻想で満ちている。私たち人間はとても弱くて、その弱さを自分以外の何かで補おうとするけれど、自分が弱い生き物だと認めて生きて行くことがこの嘘で溢れた世界で強く生きていくための武器なのかもしれない。

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