暮らしの中で気づいたこと

ドイツで暮らしていると時々「サービスが悪いから利用したくないな」と思うことが多々ある。中でもDHL、郵便局の愛想の悪さは天下一品だ。オンラインで買い物すると家に届けてくれる。しかしその届けてくれる人がとにかく無愛想で時々意地悪なことを仕掛けてくる。
こないだは家に在宅していたのにも関わらず、部屋まで届けてくれずに不在票がポストに入っていた。その時はインターホンで会話をして部屋階を教えて玄関のオートロックを開錠したのに、不在票が入っていた。忘れもしないその日は土曜だったので日曜を挟んでこちらからわざわざ月曜に郵便局まで取りに行かなければならない。月曜の郵便局はとても混んでいるのに。クレームをつけたところで、何か改善されるわけでもなく、謝罪を得られるわけでもない。
コロナが原因で配達員との接触もなるべく避けるようになっている。部屋の入り口のドアに置いて行ったり、サインレスだったり。だから玄関のオートロックを開けてあげたら、荷物だけがエレベーターに乗って上がってきたこともある。配達員が部屋まで持って上がってきてくれる時は、他の住人の荷物も一緒に私に預けてしまいたい時だけだ。
ドイツの配達業界は非常に信頼度が低い。荷物、書類、手紙、種類に限らず紛失が多い。だから大切なものを送る時は保険をかけれる。それでも紛失が起きる。一体どういうシステムになっているのだろうと疑問に思う。トラックや集荷場にはブラックホールが定期的に現れてお客さんの荷物を吸い取ってしまうのか、イースターラビットが現れて隠してしまうのか。

ドイツでサービスの悪さに遭遇するのは特に東ドイツだった地域が多い。昔のベルリンのレストランでは愛想笑いも、注文の確認も何もないような場所がほとんどだった。だんだんと資本が入ってきて人々はサービスが何かを学ぶようになり、今では無愛想なレストランは流行らないから儲からないという認識が根付くようになった。それでも片田舎へ行くと時々そういうレストランに遭遇する。
そう考えるとドイツのサービス業は少しずつ良くなっている。だが日本のサービスと比べたらまだまだ赤子のレベルだ。特に私は日本でレベルの高いサービスを受けることが当たり前だった世界に慣れていたのでドイツの無愛想さには驚いたが、自分の中でサービスに対する期待とハードルを下げることでストレスを感じないで済む。

それとは逆に、資本が全てではないからサービスや接客態度が悪いことに対して何も違和感を感じないという私にとっては新しい視点を持つようになった。資本主義は働いて稼ぐことに軸があるが、東欧などの社会主義体制が長かった国々ではそれらが深く根付いていない。だからレストランやホテルで親切にしてもらうことと、客として良いサービスを受けることが全くの別物だということに気がついた。うちの近くにあるポーランドやチェコに時々遊びに行った時に、レストランや買い物をしててもお店の人は特に馴れ馴れしくしてこない。けれど話しかけると友達のように接してくれる。何か質問があれば喜んで答えてくれるのだ。お客さんを見て、何か買ってくれる人=優しくしなければならないという認識がまだそんなに深くないのだろう。人間を資本として換算する、ということがすっかり根付いてしまった私には時々、そういう純粋さみたいなものが羨ましく思う。人付き合いにしても、その人自身を見るのではなくその人が持っているものや、私にもたらしてくれるであろう影響なんかをざっと読んでしまいがちになる。今ではそんなことはさっぱりしなくなったが、時々そんなことを思い出してしまう。資本主義の中で生きていく私たちはどうしても人間の価値をその人の所有物や財産で計る。だからきっとドイツの悪いサービスにもいちいち腹を立ててしまうのかもしれない。

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