体は一つ、中身は多国籍

久しぶりに先日、名前とアイデンティティーが一致しないめんどくささを実感した。私が日本人だろうが韓国人だろうがドイツ人からしてみればアジア人にしかすぎない。どこから来たの?とか、あなたの故郷はどこ?と聞かれると私は日本という。しかし相手が日本人だとそうも行かない。自分の名前を紹介した時に、日本語が上手なんですね、って絶対に言われる。日本で生まれて育ちました、と答えるしかない。相手だって悪気があるわけではないし、私もそんなことで相手に悪意を覚えるわけでもない。ただ少し、面倒臭いなとは思う。時々、面倒臭い時はザイニチなんです、と言う。するとザイニチが何かわかっている人もいれば、わからない人もいる。色々と面倒臭い。だから私は早いところ、日本にはたくさんの外国人が住んでいて、見かけや名前と中身のアイデンティーが一致しないという事実が定着してくれることを心の底から願っている。名前が韓国人でも中身は日本人のようなものなのだ。いちいち祖父母が戦時中に〜とか朝鮮学校っていうものがあって〜とかっていう解説をする手間が省ける。私は自分でザイニチだから、と言ったところで差別問題を熱心に布教するわけでもない。少し残念なのが、ザイニチという言葉には少なからずマイナスなイメージがついていることだ。それ多分、黒人やドイツのアラブ系の人たちも似たような感覚を持っているのではないかと思う。

私は長いこと外国で暮らすことによってザイニチのしがらみみたいなものから解放されている。逆にこちらで暮らしている日本人コミュニティーのようなものはザイニチと似ている部分が多い。ザイニチのしがらみが嫌でたまらなかった時期もあったので、ドイツにきてまで狭いコミュニティの中に身をおきたいとも思わなかった。時々、寂しい思いをすることがあるけれど。ドイツでも数人、ザイニチと出会った。彼らも私と似たような環境で育ったが、中には韓国人の方が友人が多いという人もいた。別に彼らが韓国人だという自覚を持っているから韓国人の友人を選んだわけでもない。たまたまそういう人たちに多く出会っただけなのだ。
私はどちらかというと感覚的には日本人ぽいなと思う。韓国ドラマよりも日本のドラマの方が好きだし、韓国の実家に帰っても考え方や習慣がまるで違うなと思う。だからと言って韓国の実家の人々と疎遠になるわけでもない。私にとっては大切な家族なのだ。それ以上でも以下でもない。文化や価値観が違うから、もう会いたくないとは思わないし、何か困ったことがあれば助けてあげたいと思う。

話はだいぶ逸れたが、私は長いこと自分はどこの国の人間なんだろう?と悩んでいた。しかし今は、どこの国の人間でもないことに誇りを持っている。アイデンティティーが多国籍であることの方がこの先色々と、強いのではないかと思うのだ。

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