ヨーロッパという幻想

10年前の私はヨーロッパに対して恐ろしく美化されたイメージを持っていた。美しい白人の人々が小洒落た服をまとい、カフェテラスで優雅にコーヒーを飲み教養のある会話を楽しんでいる。まぁこれは少し行き過ぎた幻想だけれども、実際に私は子供の頃から触れていたメディアの影響もあってかヨーロッパの人々はとにかく白人ってだけで全てが美しいという勝手な思い込みがあった。

けれども実際のところはどうだろうか?私がここで10年暮らして得た勝手な統計学にすぎないが、ヨーロッパはアジアよりも日本よりもクソ野郎が多い気がする。それはどのような場所に自分が属するか、にもよるのだろうけど。例えばお医者さんや大企業の社長や大学の教授ともなれば話は別だが、それ以外の人々、例えば学校の先生とかお肉屋さんで働いている人などはたまにびっくりするほど教養のない人に出会うことがある。

ドイツは恐ろしいほどの学歴社会だ。学歴があるかないか、でその後の人生が決まる。それは大学という肩書を持っていれば、というわけではない。なぜなら大学の修士でさえ修了させることが非常に難しいのである。私の知っている人で10年間、修士論文を書き続けては未だに卒業できていない人がいる。その10年間は社会的には学生という身分でもあり、修士論文提出以外には大学ですることがないので残った時間をアルバイトしたり趣味の演劇に精を出したりしている。最近彼女は結婚して出産した。そして今年もきっと修士論文を提出すると思う。

話はずれたが、大学を出ていない人はお肉屋さんなりパン屋さんなり部屋の内装業者なり他の専門的な職業に就く。その際にももちろん研修が必要で、誰にでもできる仕事というのはあまり見かけない。これにはドイツのマイスター制度など色んな仕組みがあるが、ググればいくらでも出てくるのでここでは説明しない。
結局のところ、建前上は色々な研修や免許が必要だが、それでも比較的簡単に誰でも開業したり働けたりする場所にはそれなりのレベルの人しか集まってこない。能力が低い以前に、人間として差別的な発言をしたり仲間を虐めたり、お客さんと会話する能力すらない人は多い。
それは義務教育の中でも普通に留年がある事が理由の一つではないかと私は思う。高校を15歳で卒業する子もいれば20歳で卒業する子もいる。学校の授業中に机と椅子の上におとなしく座って先生が話していることを集中して聞くことができない子も居る。そういう場合、ドイツだとお医者さんに発達障害があるかどうか診断を仰いだり、とにかく子供が嫌がる、苦痛を覚えることは学校側では強要しない。そういう子たちの未来はお医者さんになるために大学に進学する子とは全くかけ離れた世界に住んでいる。中にはスレて10歳でアルコールやタバコに手を出し非行に走る子もいる。タバコくらなら可愛いもので、簡単にドラッグが手に入ってしまう環境に居る子はもっと悲惨だ。これはもう両親が毒親の時点でいくら国の機関が子供を救おうと乗り出してきても絶望的なケースが多い。夏になると公園や川の土手で子供たちがタバコを吸って遊んでいる。どう見たって小学生の子たちがビールとタバコと音楽に夢中になっている光景をよく見かける。これを初めて見たときは衝撃的だった。この子たちの未来を考えると本当に恐ろしいけれど、この瞬間に私が今まで出会ったクソ野郎たちの過去も似たようなものだったのかもしれない、と気がついた。

ドイツを拠点にヨーロッパで仕事をすると少なからず、クソ野郎と出会うことはある。彼らは私とは全く違った環境と教育で育ったので違いがあることは頭では分かっていても、心で理解できないこともある。なんでそんなにひどいことをするのだろうと、心底頭にくる来たことはたくさんあったし、この先もそんな人と出会うだろうと思ったらやっぱり日本で暮らしたくなる。だからと言って日本に戻って暮らしたところでクソ野郎と出会わないで平和な毎日を過ごせるか?というと、そううまく行くわけでもない。

私は日本からドイツへ飛び出してきたときに、今まで日本で経験した理不尽なことや嫌なことはドイツでは出会わないだろうと妙な幻想を抱いていた。けれど、実際は日本と同じくらい、もしくはそれ以上にひどいことや理不尽を経験した。その度にドイツ人を恨み、私の幻想はどんどん崩れていった。どこの国にもクソ野郎はいっぱいいるし、反対に良い人に出会えて楽しい時間を過ごすことができる。ヨーロッパでもアジアでも結局のところ、人間は誰かを傷つけたり搾取したりする生き物なのだと最近は諦めている。逆に理性を持って生きている人に出会えたら、それは奇跡のようなものだからその人のことを大切にしたい。そして私も理性ある人間でいたいと心の底から思うのである

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