アイスランドの手帳を読み返して思うこと

長いこと触れていなかった棚を整理した時に、アイスランドの時の手帳が出てきた。あれからもう2年経ったのか、と思いパラパラとめくる。アイスランドでの出来事といえば心に残ったものがいくつかあった。全体的に悪い記憶や思い出なんかはないが、物価が本当に高かったのを覚えている。
手帳を読んでいるといくつか気がついたことがあった。それは同じ時期にレジデンスに滞在していた他のアーティストのことだった。私は一体、アイスランドで何を見てきたのだろう?と少しばかり自分に対して落ち込んだ。レジデンスには私以外にも何人か滞在していた。1ヶ月滞在している人もいれば、半年滞在している人もいた。その中に一人、少し変わったアーティストがいたのだ。

彼女はアメリカに住んでいてニューヨークで働きながらアートの学校へ通っていたという。アメリカ生まれだが両親はバングラディッシュの人で見た目はインド系だった。特に彼女と仲が悪かったわけではないが、時々、彼女の振る舞いにハッとさせられたことがあった。それはアーティストになるということがどういうことなのか、ということだった。今ではSNSでいくらでもセルフプロデュースができる。だからちょっとした作業部屋にそれっぽいものがあって写真をアップすれば一人前のアーティストの完成だ。しかしそこには制作する時間というものが存在しない。作家たちは皆、作品を毎日作り続ける。が、彼女のような形から入る人にとってはアーティストだと宣言して、それで終了している場合が多い。毎日作品を作り続けることが何よりも大事なのだが、宣言と行動が一致していない場合が多いのだ。それは環境的にアート一本で生きていくことが難しいから昼は他で働き、空いた時間で制作をする。するとどんどん時間と労力が減っていき、気がついたら子供までできていて、というパターンだ。それが決して悪いわけではない。ただ時々、アーティストという免罪符を掲げてわがままや自由を履き違えている場合が多いのだ。何度もいうが、私は彼女のことが嫌いなわけではない。ただなんとなく振る舞いや行いを見てなんだか拗らせているなと感じたのだ。

時々私もサボる時がある。それが1年の時もあれば、1日の時もある。サボっている自分を追い詰めて精神的にいかれてしまうよりかは、人生長いのだからと気楽に生きていくことも大切だ。だが自分が作家だと名乗る以上は、少なからずともそれらしく生きていかなければならない。アイスランドの手帳を見返して、私が人間にフォーカスしていたことが少しばかりショックだった。もっと他に考えるべきことがあったのではないか?と。しかしきっと当時の私も、作家として作品を作ることにこだわりすぎていて、自分自身を見失っていたのかもしれない。

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